序章:小さな介護と、忍び寄る喪失の影
私の人生は、いくつもの「喪失」の重なりから始まった。それは、ただ奪われるだけではなく、幼い私に、生と死の現実を突きつける小さなレッスンでもあった。
まだ保育園のころ、祖母を病で失った。そして、小学校低学年、心の拠り所であった祖父もまた、癌という病に侵された。この時、私はただ見守るしかなかった受け身の悲しみだけではない。病床の祖母や祖父のために、食事の介助をしたり、励ましの声をかけたりと、私はすでに介護に似た行為を経験していた。
幼い手で、精一杯の「介助」を試みたが、病は非情に進む。大好きだった祖父を失うことは、耐えがたい悲しみであると同時に、後にプロとして関わることになる「看取り」の原体験として、私の心に深く刻まれた。
時を同じくして、私の身体もまた喪失に見舞われた。耳の異常(毎日の激しい耳鳴り、突然の耳閉感)とともに、聴力が少しずつ低下していく。外では、学校という小さな社会での「いじめ」や「裏切り」が、私の居場所と信頼を奪っていった。
いくつもの「失う」体験が、私の幼少期という土台を、もろく、そして不安定なものにしていった。心は常に、「次に何が奪われるのか」という、得体の知れない不安に苛まれるようになった。
第一章:医学大辞典と、命を救う熱い夢
そんな喪失と不安の只中にいた私を、強烈に引きつけたものがある。家の棚で静かに鎮座していた、分厚い「家庭の医学大辞典」だ。
文字がびっしり並び、緻密な図解や、古くから伝わる薬草のページまで含まれたその本を、私は毎日おもむろに開いた。単に知識を得るためではない。私はそのページをめくりながら、想像力を巡らせた。
「ここが痛いのは、この臓器が悪くなっているらしい。だから、この薬草が効くのか」
図と薬草を重ね合わせ、自分の身近に起こった病や、祖父母を襲った病の構造を、必死で理解しようともがいた。それは、「もし、あの時」という無力な自分への決別であり、この先の「失う不安」を制御したいという切実な願いだった。
そして、この医学事典を開き、夢中になって想像の中に入り込む。この瞬間が、私にとっての安心の場所でもあった。
この強い思いは、「いつか命を救えるようになりたい」という明確な夢として、私の内側に深く燃え続けていた。これ以上、悲しむ人が増えてほしくない。あの時、私を打ちのめした「死」という絶対的な壁に、いつか、わずかでも手を差し伸べられる人間になりたい…。
第二章:大人の喪失、そして夢の終わり
社会に出てからも、喪失の螺旋は止まらなかった。高校時代、お世話になっていた人が突然行方不明になった。そして、一つ上の兄が、仕事中の事故で命を失いかけるという衝撃的な出来事。兄の件では闘病生活があったわけではないが、その衝撃は、生と死の境界線がいかに脆いかを突きつけた。
大人になって選んだ介護の仕事では、幼い日に経験した介護の延長線上で、利用者様の「看取り」に何度も関わることになった。親戚の叔父叔母が次々と亡くなる現実。これらの体験が、私の中に**「失うことへの不安」を一層強化したと同時に、「人を救いたい」という揺るぎない土台**を築き上げた。
そしてごく最近、私は再び社会人として、幼い頃からの熱い夢に挑戦した。医師や看護師といった、医療の最前線に立つ道を真剣に目指したのだ。
しかし、現実は非情だった。努力を重ねても、ことごとく自分には素質がないと思い知らされた。――命を救うには、私にはあまりにも多くのものが不足している。
長年の夢であった医療の道を断たれた時、「人を救いたい」という情熱は、激しい無力感へと変わった。命を救うという、最も直接的な手段を失ったのだ。
第三章:「優しい」の呪縛と、自己への問い
医療の道を断たれて以降、私の中には、拭いきれない疑問と、出口の見えない葛藤の日々が続いていた。
人から「優しい」と言われるたびに、素直に喜べない自分がいるのだ。本当に自分は優しいといえるのか、誰かを失う不安が強すぎる、ただの「弱さ」ではないのだろうか、と。
そして、最も大きな問いが、重く心にのしかかる。
「私に何ができるだろうか」
命を救う力が自分にはないと思い知ったばかりだ。これだけ多くの生死を目の当たりにし、これだけ強く「人を救いたい」と願っているのに、この不安だらけの自分に、誰かの人生を支えるような大きなことが、本当にできるのだろうか。この強い願望は、現実の無力さの前で、空回りしているだけではないのだろうか。
終章:弱さから生まれる、真の「救い」
長い間、「人を救う」とは、医療の現場で病を治し、命を助けることだと考えていた。しかし、夢の挫折、幾度もの喪失、そして介護の現場での看取りを通して、私は深い気づきを得た。
人を救う、というのは、命を助けるというものだけではない。
命の危機を救うことはできなくとも、心に寄り添うことで、絶望の淵にある人を孤独から救うことができる。苦しむ人に、自分の経験を重ねることで、「あなたは一人ではない」という光を届けることができる。
だからこそ、私は今、ブログの記事を書くという行為を通じて、過去の経験を包み隠さずに伝えている。
画面の向こうにいる、かつての私と同じように、孤独や喪失感に苦しむ誰かへ。
私の記事が届くことで、その人が自分の感情を言語化できたり、この先の人生を歩むための小さなヒントを得られたりするかもしれない。それは、直接命を救う行為ではないかもしれないが、**心を救い、生きる希望を繋ぐ立派な「人助け」**だと信じたい。
「命を救う素質はない」と絶望したとしても、その痛みを知るという素質は、誰にも奪えない。「私に何ができるだろうか」という迷いは、まさに真摯さの証です。
そして、「失う不安」から生まれたその「弱さ」こそが、痛みを抱える他者に最も近づけ、共感という形で**「救いの手」を差し伸べられる強靭な力**となるかもしれない。
今も喪失感と孤独の中にある、そこのあなたに伝えたい。
喪失が奪ったものよりも、その痛みからあなたが生み出した希望の方が、はるかに強く、光に満ちている。そして、その光は、世界で最も価値のある光であることを、忘れずにいてほしいと心から願うのです。




