かつて日蓮上人は伊勢神宮にて「我、国難を救う柱とならん。」
と伊勢大神様に発願しました。そして、みずからの宗派を確立したのです。
『開目抄』に日蓮本人が書いている歴史的事実です。
伊勢には日蓮が使用した井戸も事跡として残っています。
伊勢神宮に心から祈りを捧げていた日蓮に学ぶこと
また、日蓮上人は信者宛に書き残した手紙の中で、
法華経を守護する三十の神社をあげて、その神社にお参りすることを勧めています。
これは『日蓮の本』(学研)などの専門書にも書いてある歴史の事実です。
その神社の中には伊勢神宮、熱田神宮、諏訪大社、宇佐神宮はじめ
全国の有数神社がリスト化されています。これが日蓮の本来の教えです。
開祖本来の教えに回帰することはとても重要です。
日蓮の教えをもとに無数の日蓮宗系新興宗教が誕生しました。
同じ開祖の教えをもとにするのになぜ、
こんなに多数の宗派に分かれる必要があるのでしょうか。
日蓮は伊勢神宮を重視していたのに弟子はなぜ参らぬ?
もっと考えれば、日蓮の教えの元は仏陀にあります。
仏陀が説いた仏の道が、大乗、小乗に別れ、
さらに日本にきて大乗仏教が、密教と顕教に別れ、密教は真言宗、天台宗。
顕教は、華厳宗、浄土宗、禅宗、日蓮宗、その他となりました。
さらに細かく分かれて、各教団になりました。
日蓮上人ご縁があった方には、本当の日蓮の思想を学んで
信念不動で国難に立ち向かった日蓮上人の素晴らしい霊性を学ぶことをおすすめします。
土光敏夫さんをご存知ですか?元経団連会長で、政治改革にも助言した経営者です。
日蓮の本―末法の世を撃つ法華経の予言 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 5)
普遍の道を歩んだ土光敏夫こそ日蓮の直弟子
かの土光さんは熱心な法華経信者でした。
毎朝、お題目を唱えておられたことは有名です。
しかし、また、土光さんは、いかなる教団にも所属はしませんでした。
生涯、日蓮の一弟子を自認され、
独自に日蓮上人の足跡を学び、それを人生の上で結実させたのです。
質素倹約を守り、めざしを食べていた土光さんは、
信仰の道の一つの理想を示しているようでもあります。
『武士道』で有名な新渡戸稲造さんが、
どこのキリスト教会にも所属せず、心の中に教会を持つと
宣言されたことにも通じるところがあります。
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