九度山の真田ミュージアムは、和歌山県伊都郡九度山町九度山1452-4にあり、
南海高野線の九度山駅から徒歩で10分です。
外見からもそれとよくわかるように武家屋敷風に作られていて、
真田の有名な旗印、六文銭があちこちに使われています。
真田ミュージアムで真田幸村を学ぶ
幸村が九度山で住んでいた期間は14年間。父昌幸、妻の大谷吉継の娘、
その妻との間に生まれた大助、後の幸昌ら家族や家来とすごすことが
できましたが、貧しい暮らしだったということです。
その14年間の九度山での生活を、パネルの展示や、ドラマ映像で紹介してあり、
オープニング特別展では、くどやま真田丸大河ドラマ展が開催されています。
大河ドラマで使われた衣装や小道具も実際に見ることができます。
真田ミュージアム:幸村のほんとうの名は信繁
真田幸村という名前で知られていますが、本当は、真田信繁という名前です。
江戸時代に、真田信繁の活躍が講談として民衆の人気を集めていたので、
お上に遠慮して真田信繁という名前で呼ばず、名前を変えて真田幸村としたらしいです。
それから、民衆たちに真田幸村として知られるようになっていったのです。
真田宝物資料館は、真田ミュージアムから徒歩で約二分の善名称院、
通称真田庵の境内にあり、幸村の愛用の鎧や武具、槍、書状などが展示されています。
団体の場合は、あらかじめ予約すると住職が案内してくれるようです。
他には、同じ境内に、雷封じの井というのがあり、幸村がその井戸に
雷を封じて人々の難を救ったと言われていて、重い石のふたで蓋がされています。
真田ミュージアムと真田庵
また、その真田庵から東へ170mほど行くと、真田古墳といわれる場所があります。
幸村が大阪城へと九度山を脱出するときに使われた抜け穴と言い伝えられていますが、
実際には、古墳時代の古墳なので、ふたつの事柄をくっつけて真田古墳と呼ばれています。
雷封じとか、真田の抜け穴とか、実際にあったとは思えないようなことも
言い伝えられてきているほど、真田幸村という人は、
奇想天外なことを閃いてやりとげる人だったのでしょうね。
また、忍者を従えていたというのも面白いですよね。
忍者のなかでも強い真田十勇士とか。
真田丸のドラマにも佐助以外の忍者が登場して活躍してくれるのかな?楽しみですね。
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