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考察:日本の大学における「英語化」の波紋―日本語で学ぶ知性の価値と未来への提言

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1.日本人として考える、教育の基盤を揺るがす懸念

 

最近、大学の授業で英語化が進んでいるという話を頻繁に耳にします。国際的な競争力を高めるため、グローバルな人材を育成するためという目的は理解できるものの、一市民として、日本の高等教育の根幹がこの変化によって揺らいでしまうのではないか、という懸念を抱かずにはいられません。

私たちの社会生活や仕事、そして思考の土台は、すべて日本語の上に成り立っています。介護の現場でも、利用者様やご家族との心の通い合ったコミュニケーションは、細やかな日本語のニュアンスがあって初めて可能になります。

学問の世界でも、この母国語の力が軽視され、教育の質が損なわれることがあってはならないと強く感じます。

 

2.明治の偉業:先人たちが築いた「日本語による知の体系」

 

この議論をする上で、私たちがどれほど恵まれた環境にいるかを再認識すべきです。

日本は、明治時代に西洋の文明を貪欲に取り入れました。その際、単に知識を輸入するだけでなく、福沢諭吉や西周といった先人たちが、膨大な時間をかけて「philosophy」を**「哲学に、「economy」を「経済」に、といった具合に、西洋の抽象的な概念に合致する独自の漢字熟語**を懸命に創造しました。

この**「翻訳」ではなく「創造」とも言える作業によって、私たちは高度な学術をすべて母国語である日本語で展開できる**、世界的に見ても非常に強固で豊かな知の基盤を持つことになったのです。この偉業は、植民地化され、宗主国の言語でしか学問ができなかった国々とは一線を画す、日本の文化的な独立の証です。

この貴重な遺産の上に私たちの教育は成り立っているにもかかわらず、今の大学の一部に見られる「英語化ありき」の姿勢は、この先人たちの努力と誇りを軽んじているようにも映ってしまいます。

 

3.2025年現在の「英語化」の実態と課題

 

2025年現在、日本の大学における英語化の動きは、主に**「英語学位プログラム(English-based Degree Program)」**の形で進んでいます。

これは、特定の学部やコースにおいて、入学から卒業まで全ての授業を英語で行い、学位を取得できるようにするものです。東京大学や早稲田大学などの主要大学が外国人留学生獲得と国際化のためにこれを推進しており、日本人学生にも多様な環境を提供するメリットはあります。

かつて報道で話題になった「山梨大学がほぼすべての講義を英語化する」といった大胆な方針についても、全学的な実施は確認されておらず、多くの大学では、全科目を英語化するのではなく、国際的なトピックを扱う一部の講義や、留学プログラムと連携した授業に限定されています。

しかし、この限定的な英語化にも、教育の質に関するいくつかの課題が潜んでいます。

  • 思考の「浅薄化」の懸念: 学生が真に複雑な専門概念を理解し、深く掘り下げて思考するためには、最も慣れ親しんだ母語である日本語で訓練を積む必要があります。英語力が不十分な状態で英語の授業を受けると、理解が表面的なものに留まり、「分かったつもり」になるだけで、論理的・批判的な思考力が十分に育たないリスクが生じます。
  • 専門教育の質の担保: 専門分野では第一人者でも、英語での教育に不慣れな教員は少なくありません。教員個人の英語力に授業の質が左右され、専門的な内容の深い部分が学生に伝わりきらない事態は、教育機関として避けるべき事態です。

 

4.真のグローバル人材に必要な「母語」という土台

 

大学が目指すべき「グローバル人材」とは、単に外国語を流暢に話せる人を指すのではありません。

それは、日本語で培った揺るぎないアイデンティティと、高度な論理的思考力を持ち、それを基盤として世界と対話し、異なる文化を持つ人々と協働できる人物です。

小学校から英語教育が強化されている現状だからこそ、大学教育では、その土台の上に立つ日本語による思考力を徹底的に鍛えるべきです。高度な語彙、精緻な文法、そして豊かな表現力といった、**日本語の「武器」を磨き上げることで、学生は真の知性を身につけ、初めて英語を強力な「道具」**として使いこなせるようになるのです。

 

5.市民として、私たちは何を選ぶべきか

 

私たち一般市民が大学の教育方針に直接介入することは難しいかもしれませんが、最も重要なのは、**「賢明な選択」**を通して、教育機関にメッセージを送ることです。

大学を選ぶ際、目先の「英語化」や「国際色」といった言葉に惑わされるのではなく、日本語での専門教育を深く追求し、学生が母語で徹底的に思考する訓練を重視している大学を評価し、支持していくべきです。

国民一人ひとりが日本語の価値を再認識し、「安易な英語化」に流されない姿勢を示すこと。これが、日本の高等教育の質を守り、先人が築き上げた知の基盤を次世代にしっかりと受け継いでいくための、最も建設的で、私たち市民にできる行動ではないでしょうか。

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