城崎温泉の歴史を語る上で、欠かせない人物がいます。
それが、大正期の文豪 志賀直哉(しがなおや) です。
代表作『暗夜行路』や『和解』などで知られる彼が、この温泉地を訪れたのは、1913年(大正2年)。まだ30歳になる前のことでした。
20代の彼が城崎でどのような体験を得て、現世まで引き継がれる文学を残したのか。その内容とはどのようなものなのか。
目まぐるしく過ぎていく日常の中に、生きている意味を見失ってきてしまう人が増えてきてしまっている現在であるからこそ、ぜひ読んでほしい、知っていただきたいものです。
■ 列車事故から始まった「城崎との出会い」
志賀直哉が城崎温泉に滞在することになったきっかけは、なんと山陰本線での列車事故。この事故で彼は重傷を負い、療養のため静かな場所を求めて選んだのが城崎でした。
1913年(大正2年)8月15日、志賀直哉は友人の里見弴と芝浦へ涼みに行った帰り、山手線の電車に後ろから跳ね飛ばされる事故に遭いました。この事故で彼は背骨を強く打ち、頭を石に打ちつけて切るという重傷を負い、東京病院に入院しました。その後、療養のために兵庫県の城崎温泉を訪れ、静かな環境の中で過ごしたのです。
滞在先の旅館から見える自然や、周囲の静けさ、人々の素朴な暮らしは、彼の内面に深く入り込みます。
■ 『城の崎にて』とはどんな作品か?
彼自身が電車事故に遭い、城崎で療養中に得た体験をもとに書かれたのが、短編小説『城の崎にて』です。
この作品は、生と死、そして自然との対話をテーマにした非常に静謐な物語で、次のような印象的なシーンが描かれています。
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傷を癒すため静かに温泉に通う主人公
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通りで死んだ蜂やネズミの死を見つめる場面
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生きることの不確かさと、人間の存在の小ささを自覚する瞬間
作品全体に流れるのは「生きること」と「死ぬこと」が日常の中に自然に溶け込んでいる、そんな落ち着いたまなざしです。事故による生死の境を意識しながら、蜂、鼠、イモリの死を目撃し、生と死の非対立性について考察する様子が描かれています。
志賀直哉はこの事故を「偶然の出来事」として捉え、作品の中で「自分は偶然に死ななかった。蠑螈(いもり)は偶然に死んだ」と記しています。この作品は、彼の人生観や死生観を深く反映したものとして、日本文学の中でも特に評価されています。
■ なぜこの作品が語り継がれるのか?
志賀直哉の作品は“文体の無駄がなく、透明感がある”とよく言われますが、『城の崎にて』はその代表格です。無駄な感情表現を避け、出来事を淡々と描きながらも、読後に深い余韻を残す名作です。
現在に生きている私たちも、この作品に触れることで、彼がどのような気持ちで描いてきたのかをイメージしていくことで作品の深さを感じられます。また、「生とは?死とは?」と自分なりの考えを見つめる機会となります。そして、短編なのでサラッと読むことができます。
この短編によって、城崎温泉は単なる観光地ではなく、「文学と向き合える場所」としての価値を得ることになりました。
■ 今も残る「文学の温泉地」としての面影
現在の城崎温泉には、志賀直哉が滞在したとされる旅館跡や、作品にちなんだ文学碑が残されています。
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志賀直哉ゆかりの記念館
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『城の崎にて』の文学碑(地蔵湯近く)
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温泉街の書店やカフェに残る“文学の気配”
また、作品に登場する「川沿いの道」「小動物の死」などをなぞるように散策する“文学ツアー”も人気です。
まとめ:志賀直哉のまなざしと、城崎で感じる静けさ
城崎温泉を訪れるなら、ぜひ一度『城の崎にて』を読んでみてください。
湯けむりに包まれながら、かつての文豪が見つめた世界に、自分自身を重ねる時間もまた、旅の一部となるはずです。