合気道の道場では神棚があるけど神道との関係は?

合気道についてはたくさんの本が出ています。
『武産合気』(たけむすあいき)『合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録』
この二冊は、合気道の開祖、植芝盛平さんが、口述した合気道の極意書です。
『合気道開祖 植芝盛平伝』は二代道主植芝吉祥丸さんが書いた正伝です。

そこに語られるものは今日、合気道の精神性を示す言葉として、
しばしば目にする「武は愛なり」「我即宇宙」「万有愛護の精神」
などの根底となる合気道の精神性の原点です。

それは日本神話の用語で語られる世界です。
植芝盛平さんは熊野本宮大社に三百回以上も参拝したそうです。
武術の神でもある熊野の「すさのおのみこと」の神霊直伝の
霊的な武術としての合気道の側面が感じられます。

合気道を習っているだけで、その技が持つ精神性を
カラダを通して学ぶことになります。合気道の動き、
技の理論のすべてが、日本神話の神の世界にリンクしているのです。

神道の世界を武術に体現したものが合気道

すべてと融和して敵対せず、敵を抱き参らせる合気道の技。
そこに日本民族の精神の結晶を見ることになります。
日本にあるさまざまな古流武術を研究された植芝盛平翁。

その技術を最終的に完成に導いたのは神伝の奇跡だったのでしょうか。
源流のひとつとされる大東流柔術と比べても、合気道には、
そこから大きく昇華されたような独創性の高い技が多々あります。

植芝盛平翁は「合気道は三日やったら天下無敵になる」
と教えていました。その意味は、自分以外のすべてが、
もはや敵ではなく、愛護すべき存在となるという悟りです。

合気道は万有愛護の精神を教える武道

合気道の修業者は、万有愛護の人類の守護者となる、これが植芝盛平翁の
理想だったようです。世の中がより良くなることを目指す武道なのです。
日本の国を守護し、人類を守護する日本の神ながらの道の
精神を体現したまことの日本人が生まれることが念願だったようです。

植芝盛平さんは、日本古来の各種の柔術を研究し、
合気道を完成させたと言われています。
大東流が中心になっているとされていますが、鹿島神道流など
さまざまな流派を研究、研鑽していたようです。
そこに天才のひらめき、インスピレーションが加わり、過去になかった、
術理が生まれたということでしょう。

合気道は古神道の精神性を神髄にできあがった

植芝盛平さんには、大本教の教祖である出口王仁三郎の弟子となっていた
期間があります。この時期に、古神道の研鑽を積んだ植芝翁は、
さかんにインスピレーションを得て、合気道の技を完成させていきます。

植芝翁が生涯に三百回以上も熊野詣でを行ったのも、古神道の研鑽であり、
熊野本宮大社を熱心に崇敬していたのも、かの地に伝わる九鬼神道を
求めてのことであったのでしょう。

熊野本宮には、家津美御子大神すなわち、スサノオノミコトが主宰神として
祭られています。スサノオは、日本最初の和歌の神でもありますが、
もろもろの技芸練達の神様ともいわれています。
ヤマタノオロチを十拳剣(トツカノツルギ)で退治した武の神でもあります。

武は愛なりと説く合気道はきわめて日本的な武術

この熊野の神様は、国常立大神でもあるといわれています。
熊野の奥宮とされる玉置神社では主宰神は国常立大神です。
この神様は、大本教で非常に重視された神霊で神仕組みを主宰しているとされていました。

神仕組みとは、神が地上に行う経綸です。つまり、人類の歴史の物語の筋書きであり、
その登場人物の配役、設定、監督を行うのが、国常立大神とされたのです。

大本教の教えでは「三千世界一度に開く梅の花。国常立大神の世になりたぞよ」
という神示とともにこの神霊が開祖、出口なおに降臨したとされています。
植芝盛平さんは、戦前に出口王仁三郎教祖と共に蒙古の地に旅に出たり、
さまざまな波乱の後に大本教とは袂を別ち、その後に、本格的な合気道の創始に至ります。
こういった経緯から、合気道の道場には神棚が置かれ、そこに二礼二拍手する道場も多いのです。

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