合気道の開祖、植芝盛平は、神道に深い理解を持ち、
また神道的な神秘体験を多数重ねた人です。
合気道の技の根幹は、神道における神霊との邂逅の中で、
いわば神伝の形で伝授されています。
植芝盛平翁は、大本教の教祖である出口王仁三郎氏との
交流を通じて古神道についての理解を深めました。
植芝盛平の生涯は、誕生から東京での武者修行、大東流との出会い、
大本との出会い、そこからの独立、と四つの流れに分けられます。
合気道の含有する精神性は非常にスピリチュアル
松竹梅という口伝の謎や、大本でいわれる「三千世界、一度に開く梅の花」
の合気道における意味、そして神道の教えにある高天原と合気道の関係、
呼吸力とよばれる力の意味、禊と合気道の関係などを理解するとよいでしょう。
開祖の死後、いくつかの流派に別れてしまった合気道ですが、
それだけ多様性があるということでしょう。
植芝盛平翁の教えのどの部分を強く受け止めたかにより、
それぞれの流派へと別れたと考えられます。
開祖の子孫が継承する本流の宗家と、多様性のある分派。
それは合気道が発展していくための理想の姿かもしれません。
まさに日本的な発展の仕方だと思います。
合気道の技と精神性をどちらも習得してこそ極意がわかる
しかし、合気道を学ぶ以上は開祖の思想や体験を学び、
その奥にある背景を少しでもつかみ取るべきでしょう。
表面にある合気道の技だけを学んでも、それは不完全な体験となるのです。
合気道は日本人のための武道であり、日本精神の学びなのです。
合気道は植芝盛平翁の創始されたものであり、
盛平翁の言葉は、『武産合気』(たけむすあいき)
『合気神髄』(八幡書店)
といった、開祖、じきじきの口述の語録が残されています。
合気道を学ぶ人は、開祖の言葉を唱和すべきでしょう。
合気道開祖、植芝盛平翁は神人合一された神人ともいわれます。
「武は愛なり」「我即宇宙」「万有愛護の精神」を説かれました。
空手や少林寺拳法の精神と、合気道の愛にもとづく神技は違います。
空手は「一撃必殺」をうたい、少林寺は、「力愛不二」というが、
それら過去の時代の理念しか持ち合わせぬ武術とは、
まったく次元が違うのが合気道でありましょう。
合気道は「武産合気」と「合気神髄」を読めば本質がわかる
植芝盛平翁の精神を合気道を修行する者として学ぶには、
開祖の言葉がそのまま残っている、『武産合気』(たけむすあいき)
『合気神髄』(八幡書店)の二冊を熟読して、その中から章句を選び出して、
稽古の前に唱和をすると良いかもしれません。
合気道の精神を日本に普及し継承し、日本文化の神髄を守るため、
『合気神髄』の中で開祖が語られている言葉を学ぶことは有意義です。
「合気道の修業に志す人々は、心の眼を開いて
合気によって神の至誠を実際に行うことである。
この大なる合気の禊を感得して、実行して大宇宙にとどこおりなく動き、
喜んで魂の鍛錬にかからなければならぬ。」(『合気神髄』150ページ)
『武産合気』の中では開祖がこのように語られています。
「真の武道には敵はありません。真の武道とは愛の働きです。殺す争うことではなく、
すべてを生かし育てる、生成化育の働きです。愛とはすべての守り本尊です。
愛なくばすべては成り立ちません。合気の道こそ愛の現れなのです。」(『武産合気』69ページ)
「合気は宇宙の生ける活動の姿であり、万有の使命の上に息吹きするのである。
空気となり、光となり、皆の前にご奉仕するのが合気道の合気たる由縁で、
決して争いの道ではない。万有愛護の使命の達成をのぞいて、合気の使命は他にありません。」
(『武産合気』140ページ)
「合気道は世の立て直しにご奉公することです。立て直しとは、
濁った世界を清い清い平和の世界にすることです。それをするには自分の立てかえ立て直し
からはじめなければなりません。」(『武産合気』176ページ)
このように開祖の実際の言葉を唱和して、
合気道の稽古をすべきところであります。
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