神武天皇と明治天皇~文化の日を明治節に

神武天皇については古事記にも日本書紀にも詳細な記述がある

古事記や日本書紀に詳しい事跡の伝承があるだけではなく、全国に神武天皇の事跡に
関連した地名が多数残されています。神武天皇の兄を埋葬した場所もわかっていて
そこは和歌山市にあり、竈山神社となっています。

奈良県の橿原市にある橿原神宮は創建こそ明治時代ですが、
もともとこの地こそ、初代天皇である神武天皇が即位され、
日本建国の詔を発した土地です。神武天皇が実在しなかったとの妄説が出てきたのは、
戦後になってGHQの日本文化破壊活動が進んだ後のことなのです。

神武天皇が即位されたとされる日が、現在の建国記念日

日本が建国された記念日とは、神武天皇の即位の日、つまり2月11日です。
神武天皇を教えず、卑弥呼を教える日本の歴史教科書は異常です。
卑弥呼とは魏志倭人伝の中だけに記述される存在で実在性もきわめて怪しいのです。

神武天皇の事跡は多くの事跡が詳細に日本書紀にも古事記にも書き残されており、
全国に地名として事跡が残っているわけですから、実在は明白なのです。
これはすべてGHQが仕組んだ皇室伝統の破壊工作の影響なのです。
GHQは、日本のあらゆる伝統を壊そうとさまざまな圧力を行使しました。

ところで、11月3日は、文化の日と称されていますが、
その本当の意味を知らない日本人は多いです。
文化の日とは、そもそも明治節を継承したものです。

このもっとも重要なことを知らない日本人が増えてしまいました。
明治節とは、明治天皇様が新暦11月3日に孝明天皇様の皇子として
御降誕されたことを祝うために定められたものです。

なぜ、明治陛下のお誕生日が重要なのか。
明治陛下がお生まれになったのはアメリカのペルリ提督が軍艦四隻で浦賀に来航し、
日本を脅かした前年のことで、欧米の列強諸国が、アジアを植民地にしようと
侵略の野望に動いた時代です。

日本もまた米英の植民地になる危険がありました。
なぜ、他のアジアの国のように植民地にならずにすんだのか。

それは日本の武士たちの篤い愛国心つまり日本を外国の植民地になど
してはならないとの思いにより、旧体制の江戸幕府を打倒し、
明治維新として国体改革をなしとげたゆえのことです。

孝明天皇崩御により、明治天皇は慶応3年1月9日、16歳(数え年)で
皇位継承されました。徳川慶喜の大政奉還で同年12月王政復古の大号令、
明治元年3月14日、天皇は紫宸殿に天神地祇をお祭りになって、
五箇条の国是をお誓いになりました。

これが、「広く会議をおこし、万機、公論に決すべし」で有名な
日本の民主主義政治の根幹、五箇条のご誓文です。

その後、東京遷都、版籍奉還、廃藩置県、5年学制頒布、鉄道、電信、
電話開通、太陽暦採用などまさに日本文化をバージョンアップする
新しい政策が明治天皇様を戴く明治新政府のもとで推進され、日本の国力が充実し、
諸外国が日本を侵略する隙を与えない形をなしたのです。

明治22年には帝国憲法を発布し、帝国議会開設、そして日本人の道徳をまとめた、
教育勅語も出されました。

その後、国難である日清、日露の戦役を乗り越えて、国は独立を保ち、
半世紀のうちに立憲政治を確立したのです。

明治45年7月30日61歳(数え年)で明治陛下は崩御されました。
明治天皇様は、和歌の達人であり、お詠みになった御製(ぎょせい)の数は
9万3千余首です。その御製をみれば、国家国民の繁栄と世界の平和を祈念された
偉大な御人格をうかがい知るのです。

めにみえぬ神の心に通ふこそ
人の心のまことなりけれ

国民のうへやすかれとおもふのみ
わが世にたえぬ思なりけり

よもの海みなはらからと思ふ世に
など波風のたちさわぐらむ

ひさかたの空はへだてもなかりけり
つちなる国はさかひあれども

これらの御製を見れば、明治節を国民が大切にした理由もわかるのです。
ところが、米国との戦争に敗北したところから、流れがおかしくなりました。

占領軍は日本文化の破壊を画策し日本の伝統をことごとく壊した

その結果、明治節も廃止されるところだったのです。
それがかろうじて、文化の日として形だけ残ったのが真相です。
形だけ残っても、国民は本当の意味を教えられていません。
小学校でも何も教えません。

本来は、明治天皇様の生涯とその時代にあった国難を乗り越えた我が国の
祖先の歩んだ道を学び、尊ぶのが11月3日の本当の意義なのです。

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